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貨幣経済の歴・崩壊したらどうなるのか・本・メリット

初回公開日:2018年05月10日

更新日:2020年08月20日

記載されている内容は2018年05月10日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

働き、お金を手にし、物を買うということが当たり前のように行っている貨幣経済という経済活動は、どういった歴史があるのでしょうか。メリット・デメリットや貨幣経済が崩壊した場合などを貨幣経済もあわせて見ていきましょう。また、本もあわせてご紹介します。

貨幣経済の歴・崩壊したらどうなるのか

貨幣経済の歴・崩壊したらどうなるのか・本・メリット
※画像はイメージです

お仕事をして、お給料をもらって、食事や娯楽のためにお金を使う、当たり前のように毎日しているこの暮らしですが、このお金を中心とする経済活動にはどういった歴史背景があるのでしょうか。また、貨幣経済が崩壊するとどのような事が起きえるのでしょうか。お勧めの本とともにご紹介します。

「貨幣経済」の意味と使い方

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貨幣経済とは、「貨幣を媒介物として商品の交換が行われる経済の仕組み」のことを言います。貨幣経済の基盤となるのは、貨幣そのものの他に、人や市場が必要です。経済活動の中心を貨幣とするため、貨幣の働きは経済そのものに大きな影響を与えます。

言葉としては、制度として表すにはそのまま、貨幣経済制度、とします。貨幣経済の進展、貨幣経済の振興、のように用いることができます。

「貨幣経済」の対義語

貨幣を中心とする経済の対義語は「自然経済」です。自然経済は、自給自足経済という意味で用いられる場合と、物々交換を伴う経済という意味で用いられる場合の両方があります。どちらの場合も、貨幣が必要とされない生活基盤、ということになります。

貨幣経済の歴史

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それでは、人はいったいいつから貨幣を手に経済活動をするようになったのでしょうか。

始まり

人類初めての貨幣、というのは現状特定はされていません。しかし最も古い記録、とされているのは今から4500年前の古代メソポタミアとされています。正式には貨幣が用いられていたわけではなく、海の貿易商人が行っていたペルシャ湾貿易において、銀を仲介として経済が成り立っていたとされています。

取引の都度、天秤で銀の重さを量り、その重さを基準に価値を決め支払いの仲立ちになっていました。なお、天秤で金銀の重さを量り経済活動に使用する方法は、古代エジプトの壁画にも描かれています。

日本

日本で初めて「貨幣」というものを認識するようになったのは、奈良時代に遡ります。奈良時代の遣唐使が日本に持ち帰った唐の「開元通宝」を参考に、日本で初めての独自の貨幣が誕生することになります。

日本で最古の貨幣とされているのは近江朝時代に発行された「無文銀銭」で、「和同開珎」よりも40年ほど前に流通していたとされています。しかしながら、当時流通の仲介として主に用いられていたのは金であったため、経済活動のために作られた初めての貨幣、となると和同開珎をあげることとなります。

和同開珎とは

大国であった唐にならって、日本も貨幣経済を取り入れることになりました。唐や、同じく大国であったイスラム帝国との同じレベルで経済活動をするため、日本でも自国で貨幣を鋳造する必要がありました。なぜなら、異国での信用は物々交換では成り立たず、公平な流通のために貨幣が必要となったからです。

シルクロードを旅する商人にとっては、物々交換で荷物が多くなるよりも、コンパクトでかつ公平な貨幣というのは絶対的な存在でした。いわゆる「価値の統一」を目指したのが貨幣ということになります。

江戸時代など

江戸時代初期、それぞれ地方には独立した経済圏が成り立っていました。そのため、地方の大名はそれぞれに財を成すことができましたが、幕府はその蓄財を抑止するため、参勤交代を命ずることになります。

参勤交代の間、大名妻子息は江戸に常駐することが義務付けられ、その間にかかる費用を貨幣で幕府に納めることになりました。こうして集まった金銀から、統一貨幣での貨幣経済をはじめることになりました。

経済発展

参勤交代により、地方から江戸に向かう街道と宿場町が発展し、貨幣経済が本格化するようになります。

経済が発展する場所には人も集まり、こうして江戸が栄える基盤ができました。江戸と大坂の経済的発展は著しく、しかし統一貨幣はいまだ一般市場には出回っていなかったため、江戸は金を、大坂は銀を日常の商取引に使用していました。

そして交換レートを決定しながら金と銀の両替業務を行う「両替商」が生まれ、両替の手数料で膨大な財を築いたとされています。こうして、貨幣が循環する貨幣経済が本格化していきました。

何をするにもお金

都市部だけでなく、農村部にも貨幣経済の波が押し寄せました。大名の収入は農民から納められた米でしたが、地方経済は米本位制であり、米によって経済活動が成り立っていました。各領主は自家消費分以外の米を販売し、貨幣を得ることになります。当時最も盛んに米の取引が行われていたのが大坂とされています。天下の台所と言われるゆえんです。

大名は幕府へ収める費用が必要なため、年貢米の増加を図ります。しかし米と貨幣を交換することで、米の流通量が増え、米の価値(米価)自体が下がってしまいました。米の流通が増える程、武士階級の家計は困窮する結果となりました。この流れが、貨幣が一番、すなわち貨幣経済の考え方の基盤となったと言えます。

貨幣経済のメリットとデメリット

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