「そこはかとなく」の意味や使い方・例文3つ・類義語や対義語
初回公開日:2018年01月09日
更新日:2020年03月09日
記載されている内容は2018年01月09日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。
古来から使われる「そこはかとなく」
なんとなく「古めかしい」とか「日本らしい」といった雰囲気を感じる「そこはかとなく」という言葉ですが、実際にその歴史は古く、古典文学の中でもよく登場します。漢字で表すと「其処は彼と無く」と書くこの言葉は「そこはかと」と、「なく」という二つの言葉からなりたっています。
ここでは、古くから現代にも残りいまだ使われ続けられているこの言葉を、意味と由来、そして類義語と対義語も含めて解説していきます。
「そこはかとなく」の意味
「そこはかとなく」は、現在の言葉でいうと「なんとなく」と似たような意味で使用されています。理由や根拠などははっきりしないけれど、「なんとなく全体的に」そのように感じられる、そんな少しぼんやりとした不確かな様子を表しています。
また古典文学に見られる用法では、「際限がない」「無限である」という意味でも使われています。
「そこはかとなく」の使い方
「そこはかとなく」は、形容詞「そこはかとなし」の連用形です。連用形というのは、「赤く光る」のように、形容詞の後ろに動詞がつく時に、例えば「赤い」が「赤く」となる状態を指します。
「そこはかとなし」は古典的な表現で、口語(現代文)では「そこはかとない」とも言います。「なんとなく」と同じ意味になるので、活用する機会も多いでしょう。「なんとなく」より「そこはかとなく」を使うとより文学的な表現となります。
例文1「チョコレートのそこはかとない苦味」
甘いチョコレートを口に含んだ時に、その甘さの中にある微かながらも口に広がる存在感のある苦味。それを「そこはかとない苦味」という言葉で表現しています。
この「そこはかとない」という表現によって、単純に「微かな苦味」と表現する以上に、洗練された雰囲気も感じさせることができるでしょう。
例文2「そこはかとなく風に揺れる花びら」
花びらが風に揺られているという特別気にかけるほどではない情景ですが、「そこはかとなく」を付け加えることによって何か心を惹きつけられる感じがします。
不思議と綺麗で澄んだ空気の中で、やわらかに揺れる花々を見ている。そんな幻想的な情景が思い浮かびます。
例文3「そこはかとなく春の気配が漂う」
特に理由もなく、根拠もないけれど、なんとなく春が来たような、そんな気配や雰囲気を感じ取っている状況です。新芽が出ているのをはっきり見たわけではない、まだ花が咲いているわけではない、それでも冬とは違う空気や気配。なんとなく春を感じる。そんな状況です。
確信こそないものの、確かな自信を感じさせるのもこの「そこはかとなく」という言葉ならではです。
源氏でわかる古典常識 パワーアップ版
上でも述べたように、「そこはかとなく」の元の言葉「そこはかとなし」は古典的表現です。
もし古くからの伝統ある言葉をもっと学びたいと感じましたら、古典文学の本を一冊手元に置いて学んでみてはいかがでしょうか。きっと日本の言葉や文化をよりよく知る良い機会になるでしょう。
古典が苦手な方にも分りやすい、漫画で解説された一冊です。
絵も美しいので読みやすく、すんなりと古典の勉強が頭に入ってきます。源氏物語を題材として描かれているので、特に「源氏物語を知らない方」や「源氏物語が好きな方」は楽しめながら古典が学べるでしょう。
「そこはかとなく」の由来
「そこはかとなく」は漢字で書くと「其処は彼と無く」です。「其処は彼と」は「そこには彼がいると判別できる」という意味で、はっきりしている様子を意味します。
それを「無く」で打ち消しているので「そこに誰がいるのかはっきりしない」という意味となり、「なんとなく」「おぼろげな」という意味となります。
「そこはかとなく」が古典で使われていた例
「そこはかとなく」という言葉は、古典でも使用され、遥か昔から現在まで日本で使われ続けてきた表現です。では実際には古典の時代にはどのような形で使われてきたのでしょうか。
ここでは実際の古典文学「徒然草」や「源氏物語」の一文を例として抜粋して説明していきましょう。
例1「そこはかとなく書きつくれば」
古典にでてくる「そこはかとなく」で、最も有名な一文は、吉田兼好の徒然草の序文に出てくるこの一文でしょう。
「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかいて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」
現代語に訳すと「手持ち無沙汰だったので一日中硯に向かって、心に浮かんだどうでもよい事を、なんとなく書いていたら、ものすごく奇怪な文になりました」という意味になります。