「呵呵大笑」の読み方・由来・使い方・例文・破顔一笑との違い
初回公開日:2018年10月23日
更新日:2020年08月20日
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「呵呵大笑」の読み方
呵呵大笑の読み方は「かかたいしょう」または「かかだいしょう」です。
意味は大声をあげて笑うことです。「呵呵」は口を開けて大きな声で笑う様子を、「大笑」は大笑いする様子を指します。
呵は口+可の形声文字で、音符の可は擬声語で、叱ったり、笑ったりする声を意味します。笑は若い巫女の象形文字で、意味はわらうです。竹の部分が巫女の長い髪を表します。
かかたいしょう
呵呵大笑の一般的な読みは「かかたいしょう」です。「呵呵」は「呵々」と表記することもありますが、どちらでも問題はありません。
呵呵大笑は文語の表現であり、口語で使うことはあまりありません。
かかだいしょう
呵呵大笑は「かかだいしょう」と読むこともできます。
「かかたいしょう」と「かかだいしょう」の間に意味の違いはありません。どちらも大笑いすることを指します。
「呵呵大笑」の由来
呵呵大笑の出典は禅宗の歴史書である灯録の一つである「景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)」とされています。
灯録は歴史書ではありますが、禅宗の各宗派が自宗の正当性を主張するために書かれているため、史記のような厳密さはありません。
それぞれの宗派の禅の極意を表すものでもあり、考案として後世までさまざまな人たちに考察されている事例が多く含まれています。宗派ごとにたくさんある灯録からは、呵呵大笑以外にも多くの四字熟語が現在に引き継がれています。
由来の一つである相手の名前を尋ねる話
呵呵大笑は、禅問答で意を得た僧の、会心の笑いでした。禅僧の仰山慧寂(きょうさんえじゃく)が、同じく禅僧の三聖慧然(さんしょうえねん)と交わした問答です。
仰山:あなたの名前は何ですか。
三聖:慧寂です。
仰山:慧寂はわたしの名です。
三聖:わたしの名は慧然です。
仰山はこれを聞いて、呵呵大笑しました。
自分の名を尋ねられて相手の名前を答えて、「それは私の名だ」と突っ込まれてから自分の名前を答えるって、まるでお笑いのネタのようですが、相手の名前を奪って、とがめられるとすぐに捨て去る早さが、禅宗としては気持ちがいい受け答えと受け取られました。
その気持ちよさのために、大口を開けての大笑いとなったのですが、それが「呵呵大笑」という言葉になりました。禅問答らしく、解説するのが野暮なものであり、意味を考えずにこの対話の流れの呼吸を会承知するのが理想です。
「呵呵大笑」の使い方
呵呵大笑は、裏によくない意思を持つことなく、顔を上げて気持ちよく大笑いする時に使える言葉です。仲間と一緒にやった仕事が大成功した時や、信頼できる相手が圧倒的な力量を見せた時、ライバルが素直に讃えられるようなすごい技術を見せた時などに使えます。
自分が素直に無条件に認められる力を見た時に、気持ちよく笑う時の笑いです。従って、呵呵大笑は、笑う人の人としての度量の大きさがないと使うことができない言葉です。呵呵大笑ができるような、ふところの深い人間になりましょう。
呵呵大笑の使い方の例
呵呵大笑は底抜けに大笑いする時に使うのがもっともふさわしいです。「我が意を得て呵呵大笑する」「一緒になって呵呵大笑する」「呵呵大笑しながらとおり過ぎて行った」などと使います。
自分の言うことを誤解せず、正しくくみ取ってもらえるような相手といる時に、大きな声で、何も考えずに笑えるときに使えます。
「呵呵大笑」の例文
呵呵大笑はかなり文芸的な表現なので、普通の状況で使うことはあまりないでしょう。文学作品の中ではたくさん使われています。
文学の中の呵々大笑
呵呵大笑はいろいろな文学でも使われており、頭の中でいろいろ考えずに大笑いする様子を表しています。少し大時代な言葉ですので、昔風の文体や雰囲気を出したい場合以外は、現代の文学ではあまり使われることはありません。
あっけらかんとした呵呵大笑
気の置けない仲間とものを考えず行動している時は、呵呵大笑することが多くなります。下記のような例だと、難しいことを考えることなく、することをしているだけですので、純粋な大笑いになってしまいます。
塾生達は下が樋とい状になった男子用に雀のように何人も並び、呵々大笑しながら悠々と小用を足している。
出典: https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%91%B5%E5%91%B... |